岡山地方裁判所 昭和48年(ワ)121号 判決 1985年1月23日
原告 内田萬喜治
被告 国
代理人 笹村将文 神田良実 森盈利 北脇重男 ほか四名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し、一三七一万九六〇〇円及びうち一〇〇五万八六〇〇円に対する昭和四六年三月一三日から、うち九一万一一〇〇円に対する昭和五〇年二月二五日から、うち二七四万九九〇〇円に対する昭和五九年二月八日から各支払ずみまで日歩二銭の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 主文と同旨
2 予備的に、仮執行免脱の宣言
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、昭和四二年分所得税につき、別表一記載のとおり、確定申告、修正申告及び条件付再修正申告をし、これに対し岡山税務署長は同表及び別表三記載のとおり更正、重加算税賦課の各処分をした。
2 原告は右各申告及び処分に基づき、別表二記載のとおり税金を納付し、また、同表記載のとおり充当の通知がされた。
3 しかしながら、原告がした昭和四六年三月一〇日付再修正申告及び岡山税務署長のした更正処分は次の各事由によりいずれも無効である。
(一) 再修正申告の無効
(1) 条件付申告
原告は、本件再修正申告に先立ち、当時の岡山税務署所得税第一課長頼本浩二(以下「頼本課長」という。)から所得税額の是認の趣旨でなくとも、同課長の指示する額の再修正申告をするよう指示され、修正申告書の用紙の冒頭に「条件付申告」と明記したうえ、その趣旨を「42年分申告は条件付申告である。税務署で時効の関係、申告書を13日迄と申出あり。所得金額の是認とは相違するものである。」と記載した。
原告は右のように申告したことにより、真実の所得金額が判明すれば過誤納金が確実に返還されるものと期待していたもので、本件再修正申告のうち右に記載した条件部分のみが無効とされるべきではなく、同申告書に記載した所得金額と右条件部分は不可分一体のものであるから本件再修正申告自体が無効とされるべきである。
(2) 強制による申告
(イ) 原告は、昭和四六年三月ごろには広島国税局の査察を受け、保管していた帳簿はもちろん伝票類まで一切押収され、原告自らが帳簿書類を精査して昭和四二年分の所得を算出することが不可能な状態にあつた。
(ロ) 昭和四六年三月九日、原告とその顧問税理士頼定総(以下「頼定税理士」という。)が岡山税務署に出頭したところ、頼本課長から「国税局の査察課から所得金額についての査察の額が三二三三万五二八二円と言つてきているので、この数字で修正申告してくれ。」と強く指導され、これに対し原告は右査察金額の根拠が不明であるので一旦は再修正申告をすることを拒絶したが、同課長はさらに「昭和四二年分の租税債権は昭和四六年三月一五日限り消滅時効にかかつて消滅してしまう。それまでの六日間では更正をする余裕もないから是非とも原告に再修正申告してもらいたい。しかるうえは、昭和四二年分についても、昭和四三年、四四年分の更正をする際に同時に調査して所得額を算出し、過誤納金は間違いなく返還する。所得金額の是認とは異なる条件付申告であることを付記してもよい。」などと執拗に力説強要したので、原告はやむなくその意思に反して本件再修正申告をした。
(ハ) したがつて、本件再修正申告は強制によるもので無効である。
(3) 心裡留保
(イ) 本件再修正申告は、原告が再修正申告として自ら納税額を承認したうえでする意思表示ではなく、原告の真意は、原告が岡山税務署長の行うべき徴税義務に協力する意思のあることを明示し、将来真実の所得金額が判明した場合は、過誤納金を返還してもらうことを条件にしていたものである。
(ロ) 岡山税務署長は、本件再修正申告に際し、右原告の真意を知り、又は知り得べき状態にあつた。
(ハ) したがつて、本件再修正申告は心裡留保により無効である。
(4) 要素の錯誤
(イ) 原告は、前記(1)の様式で税務係員の強い要請に応じて架空の本件再修正申告をしたが、その目的は時効の中断にあり、その申告が具体的意思表示とはならないものと信じて申告した。
(ロ) 右のような動機は本件再修正申告の申告書に明記しており、右の錯誤は重大であるから、本件再修正申告は無効である。
(二) 更正の無効
(1) 不服申立の教示の欠如
更正決定決議書には不服申立の教示文言が印刷されているが、本件更正の決議書ではその教示文言が積極的に棒線で抹消されていて、原告の異議申立、審査請求の不服申立方法は完全に閉ざされていた。
右のように、処分に当たつて法定の教示をしないばかりか、あえて印刷された教示文言を積極的に抹消し不服申立の途を閉ざした本件更正は、単に教示を怠つたというのとは異なり、それ自体無効であると考えなければならない。
(2) 調査手続の欠如
(イ) 所得税の更正は処分をすべき税務署長の調査、又は国税庁若しくは国税局の職員の調査に基づいてされなければならない。
(ロ) 原告は昭和四五年三月二四日、広島国税局調査査察部から査察事件として強制捜査を受け、昭和四六年二月一二日、収税官吏である査察官は原告の昭和四二年分の所得も含めて租税犯則事実ありとして原告を告発した。
(ハ) 右告発により、昭和四二年分の所得の調査は完全に検察官の手に移り、同年三月五日、原告が昭和四二年分の所得も含めて所得税法違反の罪で起訴されて後も、検察官の手で原告の協力のもとで総所得金額等の捜査、分析、検討が行われた。
(ニ) そして、その後昭和四七年一〇月一九日に岡山税務署長により本件更正処分がされたのであつて、強制捜査により国税局が押収した証拠資料等は約一年八か月前に検察官に引き継がれ、本件更正当時はもはや税務署長及び国税局にはその調査資料は一切存しなかつたのであるから、本件更正はあてずつぽうにされたものであるか、又は税務署長若しくは国税局が独自の調査をせずに、検察官のした調査結果を鵜呑みにして行われたものと考えるしかない。
(ホ) したがつて、本件更正は税務当局の調査に基づかずにされたものであつて、国税通則法の法的要請に一見して客観的かつ明白に違反し、その違反の態様も重大であるから、本件更正は無効である。
(3) 再修正申告の先行
前記のとおり、本件再修正申告は無効であるから、これを基礎とした更正処分そのものも当然に重大かつ明白な瑕疵があり無効である。
(4) 所得認定の違法
(イ) 本件更正は国税局が無効な再修正申告に基づき手持証拠を十分に検討することなく一部所得額を減額したに過ぎないものである。
(ロ) 昭和四二年分の原告の所得額は原告に対する所得税法違反被告事件の刑事手続で争われ、一一年かかつて原告の協力のもとで国税局検査官の精査により本件再修正申告額と同額である起訴状記載の公訴事実中の所得金額の誤りが判明し、昭和五七年二月五日に右年分の総所得金額を一七六〇万三七一〇円とする訴因変更請求がされ、同年八月一六日に宣告された判決では右金額がさらに一七一一万一五一二円に減額されて認定され、同判決はそのまま確定した。
(ハ) 右にみたように、更正の額と刑事事件の判決で認定された額とでは著しい開きがあり、更正処分に際し、担当官が、その職務の誠実な遂行として当然に要求される程度の独自の調査をしておけば、訴因変更で明らかになつた金額程度を原告の所得額として把握し得たのに、これを懈怠して検察庁の起訴時の捜査結果を鵜呑みにして更正処分をしたものである。
(ニ) したがつて、所得金額の認定の誤りは課税要件の根幹の過誤であり、右のようなずさんな調査による過誤であるから、その瑕疵は重大かつ明白で、本件更正は無効である。
4(一) 仮に本件再修正申告が無効でないとしても、前述したとおり、原告は条件を付して本件再修正申告をしたところ、岡山税務署はこれをそのまま受理したので、本件再修正申告は条件付のものとして有効となつた。
(二) 原告を被告人とする、昭和四二年分を含む所得税法違反被告事件において、昭和五七年八月一六日に判決が宣告され、そのまま確定したが、右判決では原告の昭和四二年分の総所得金額は一七一一万一五一二円と認定されている。
(三) 右判決により本件再修正申告の条件である原告の所得金額が明確化されたので、被告は、右条件に従つて、明確になつた所得金額を基礎として計算した税額と原告の納付した金員との差額を原告に返還しなければならない。
5 また、仮に本件再修正申告及び更正が無効でないとしても、本件再修正申告の際、原告と岡山税務署長との間において、仮に右申告により原告に昭和四二年分の申告所得額につき納税義務が発生し、これに基づき一旦徴税行為が完了した後であつても、その後申告所得額が過誤であることが判明すればいつでも過誤納金を返還する旨の明示又は黙示の合意が成立し、その後、前記4のとおり刑事事件の判決により過誤が明らかになつたので、被告は過誤納金を原告に返還すべき義務を負つている。
6 以上のとおりであつて、本件再修正申告及び更正はいずれも無効であり、前述した所得税法違反被告事件の判決で認定された原告の総所得金額一七一一万一五一二円に基づく所得税本税の額七八四万五一〇〇円のみが要納付税額であり、かつ原告には延滞税、重加算税を納付すべき理由もないので、既納付額と要納付額との差額一三七一万九六〇〇円は法律上の原因のない過誤納金となり、原告は被告に対し、右過誤納金及びそれぞれの過納分の納付日の翌日から支払ずみまで国税通則法五八条所定の日歩二銭の割合による還付加算金の支払を求めることができることとなる。
また、仮に本件再修正申告及び更正が無効でないとしても、本件再修正申告に付した条件の成就又は過誤納金返還の特約に基づき、原告は被告に対し右と同額の支払請求権を有している。
よつて、原告は被告に対し、過誤納金一三七一万九六〇〇円及びうち一〇〇五万八六〇〇円に対する昭和四六年三月一三日から、うち九一万一一〇〇円に対する昭和五〇年二月二五日から、うち二七四万九九〇〇円に対する昭和五九年二月八日から支払ずみまで日歩二銭の割合による還付加算金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。但し、再修正申告は条件付のものとしての効力はない。
2 同2の事実は認める。
3 同3(一)の(1)のうち、修正申告書に原告主張の記載の存することは認めるが、無効との主張は争う。
4 同3(一)の(2)ないし(4)の事実はすべて否認し、その各主張は争う。
5 同3(二)の(1)の事実は認否がない。
6 同3(二)の(2)ないし(4)の主張はいずれも争う。
7 同4の主張は争う。
8 同5の特約の事実は否認し、その主張は争う。
三 被告の主張
1 本件再修正申告の事実関係
(一) 原告は金融業を営んでいる者であるが、自己の所得が増加したため、脱税を企て、昭和四五年三月二四日、広島国税局調査査察部(以下「査察部」という。)による強制捜査を受け、その後約一年間にわたり原告の昭和四二年分ないし四四年分の各所得金額について国税査察官から詳細な事情聴取を受けた。
(二) 原告は、昭和四六年二月一二日、広島国税局収税官吏により所得税法違反の嫌疑で岡山地方検察庁に告発され、被疑者として検察官の取調べを受けたが、右取調べの際、種々の押収資料を提示され、原告の昭和四二年分の総所得金額が三三四八万三六八二円であり、一四七八万七三〇〇円の所得税をほ脱していることを自白し、昭和四三年、四四年分の所得税についてもほ脱の事実を認めた。
(三) 原告は右刑事事件に関連して所得税を納付しておく方が得策であると考え、取調検察官に対し、ほ脱税額について再修正申告をして納税する旨申し出て、昭和四六年二月二六日、架空名義の預金通帳五通の仮還付を受けた。
(四) 原告は同年三月五日所得税法違反の罪により、岡山地方裁判所に起訴されたが、同起訴状記載の公訴事実中昭和四二年分の総所得金額及びほ脱税額は右(二)と同額が記載されており、同月七日、原告は右起訴状の送達を受けた。
(五) 一方、頼本課長は査察部から原告が修正申告をする意向であるから申告指導をするよう連絡を受け、同年三月上旬、頼定税理士に連絡をし、同月七日ごろ、岡山税務署において口頭で昭和四二年分ないし四四年分の総所得金額のみを告げて修正ないし再修正申告をするようしようようしたところ、頼定税理士から右各金額の根拠や内訳を明らかにするよう求められた。これに対し、頼本課長は査察部に照会して検討するよう指導したが、原告及び頼定税理士はその照会をしなかつた。
(六) ところで、原告は、昭和四二年分の所得税の再修正申告をし、ほ脱税額を納付することは刑事事件の審理遂行上得策であるのみならず、納税に協力しておけば将来納税の猶予や分割払等の便宜を計つてもらえるとの気持が働き、高い延滞税の進行を止めることにもなるので、頼定税理士と相談のうえ、一応納税することとし、そのための申告をすることとなつた。
(七) 頼定税理士は所定の事項を記入して本件再修正申告書を作成し、その際、請求原因3(一)の(1)のとおりの文言を記載し、同月一〇日、岡山税務署に右申告書を提出したが、右申告の有効、無効については考えもせず、頼本課長も右申告書の「条件付申告」以下の記載を見たものの原告が申告納税額を納付するものと考え、右記載部分を無視して正式の再修正申告として取り扱うこととした。
2 条件付申告との主張について
所得税の申告行為は、納税者が自らの意思に基づいてする行為であつて、自己の負担する租税債務を自己の責任において確定させる性質のものであり、原告が右にみたように自己の意思に基づいて任意に再修正申告書を提出して申告した以上、この申告の性質と相容れない条件の記載部分は無効であつて、原告の税額の確定になんらの消長を及ぼすものではない。
3 申告の意思表示の瑕疵について
現行所得税法が申告納税制度を採用し、かつ、納税者が確定申告書を提出した後において、申告書に記載した税額が適正に計算した税額に比し過少であつた場合には、更正の通知があるまではその申告に係る税額等を修正する旨の修正申告書を提出することを認め、また確定申告書に記載した税額が適正に計算した税額に比し過大であつた場合には、一定の期間に限りその申告にかかる税額等について更正の請求をすることができることとされている。ところで、所得税法が申告納税制度を採用し、確定申告書の記載事項の過誤の訂正について特別の規定を設けた所以は、自己の所得等を最もよく知る納税者の自主申告に租税確定の効果を認め、申告の過誤の是正は法律が特に認めた場合に限る建前とすることが、租税債務を適正迅速に確定させるべき税務行政上の要請に応ずるものであり、納税者に対しても過当な不利益を強いる虞れがないと認めたからにほかならない。したがつて、原則として、申告書の記載内容は租税法規で定められた方法によつてのみ是正することが許され、民法の意思表示の瑕疵に関する規定は適用されないと解すべきであつて、例外的に納税申告の過誤が重大であり、かつ、客観的に明白であつて、法定の手続以外にその是正を許さなければ納税者にとつて極めて酷であり、著しく課税の公正を害するという特段の事情が存する場合に限つて申告の無効を主張できるに過ぎない。
4 強制による申告との主張について
(一) 原告の主張する強制とは強迫の趣旨であると解されるところ、強迫による申告の場合は取消しの問題を生ずることあるは格別、申告自体が無効となることはない。
(二) 原告は時効の関係で強くしようようされたと主張するが、本件は国税通則法七〇条二項四号に該当する事案であるから、更正の期限は法定申告期限から五年であり、当時、更正するにはあと約二年間という十分な期間があつたのであるから、頼本課長が本件申告書の提出を必要以上に急がせる必要はなく、本件申告書の提出を強要されたとする頼定税理士は税務署勤務の経歴がありほ脱事犯に係る更正期間の制限が五年であることは職業上の常識として知悉していた者であるから、このような理由で同税理士を納得させられるはずがない。
5 心裡留保の主張について
(一) そもそも納税関係のような行政法上の分野においては、私人間の取引と異なり、その行為の効果は広く一般に影響を及ぼすものであつて、私法の分野におけるように意思主義を徹底することができず、納税申告の場合には、申告行為は納税者の自発的意思の尊重を基礎とするものではあるが、他面、外観と形式的確定性に重きをおくべき行為であり、法律関係の早期確定が図られているから、その性質上外部に表示されたところにより画一的に効力関係を定めるべきであり、民法九三条但書の適用はないものと解すべきで、たとえその効果意思を欠いていたとしても、納税申告としての効力に欠けるところはないと解すべきである。
(二) 原告が提出した本件申告書は、「条件付申告」以下の記載部分を除けば、所定の所得税の修正申告書の書式を用いて所得税法所定の記載事項を記載した適式の再修正申告書であり、その内容の点でも、申告者である原告において、帳簿書類等が押収されていて直ちには正確な所得金額の計算ができない事情にあつたとはいえ、原告は被告から提示を受けた総所得金額及びその内容を予め了知しており、手元には貸付金台帳という重要な資料がありながら頼定税理士に示さず、しかも、被告係官の頼本課長から所得金額が納付できないなら査察部に照会して検討するよう教示されていたのに、これをしなかつたというのであるから、原告としては可能な限りの資料に基づいて計算することに甘んじたか、又はその検討すら放棄し納税することを意図したものというべく、自らの判断と責任において本件申告書の数字を認容し、同書に押印したものということができるので、表示上の意思と内心的効果意思との間にはなんらの不一致もない。
6 要素の錯誤の主張について
(一) 意思表示に瑕疵があつても直ちに取消し、無効の主張ができず、客観的に明白かつ重大な過誤の存在を要するところ、納税申告行為の過誤が重大であるというためには、その過誤が当該事案のもとにおいて申告者にとつて極めて酷な結果をもたらし、著しく課税の公平を害する程度のものであることを要し、また客観的に明白であるとは、誤記、計算違いなどのように申告書自体の記載から、何人の判断によつてもほぼ同一の結論に到達し得る程度に外形上明らかであることを要するところ、本件においては、仮に原告主張の過誤があつても重大かつ明白な瑕疵とはいえない。
(二) 仮に原告に錯誤があつても、前記1のとおりの経過で本件再修正申告がされたのであるから、原告には錯誤に陥つたことにつき重大な過失があるというべきであり、無効を主張できる場合には該当しない。
7 本件更正との関係
(一) 本件再修正申告の後の昭和四七年一〇月一九日、岡山税務署長は、原告の所得につき再調査した結果に基づき改めて所得金額を全体として確認し、請求原因記載のとおり原告の昭和四二年分の所得を更正する処分をした。
(二) 仮に原告が主張するとおり本件再修正申告が無効であれば、これがされる以前の状態、すなわち修正申告の効力が存続していたことになるはずであり、本件更正は右修正申告に対する増額更正としての効力を生じたことになる。
(三) そして右更正に対しては、原告から異議申立等の不服申立はなんらされておらず、既に提訴期間も徒過しているから、右更正は不可争的に確定している。
(四) したがつて、再修正申告に基づく納税分のうち、右更正の額については同処分に基づく有効な納税となり、更に過納となる額については請求原因(別表二)の記載のとおり、加算税等に充当されたから、原告に返還すべき過誤納金は存しない。
8 更正の無効の主張について
(一) 本件更正は、被告側の税務調査の結果に基づき、改めて所得金額を全体として確認し、その結果、本件再修正申告の一部を取り消した処分であるが、私人の行為である本件申告とは別個独立した行政処分であるから、仮に本件申告に無効事由があるとしても、そのことが直ちに更正の違法事由とはなり得ない。
(二) また、所得金額の多寡は、それだけでは更正処分の明白かつ重大な瑕疵とはいえず、さらに、刑事事件の判決の認定が直ちに原告の真実の所得金額として認められるものでもない。
(三) 仮に本件更正において、原告の所得金額に過誤があつたとしても、そのことをもつて本件更正に明白な瑕疵があつたとはいえないことは次の事情より明らかである。
すなわち、原告が刑事事件において主張したほ脱税額の差異の原因は、昭和五二年一二月一日の公判期日において原告が証拠として提出した昭和四一年分貸金台帳に記載された昭和四一年末における原告の貸付金残額と検察官が起訴の根拠とした調査額とが相違するという点にあつた。しかして、右貸金台帳は原告自身が作成保管し、本件査察調査においても押収を免がれ、原告が所持していたものであり、原告はそれまで右台帳の存在を明らかにしなかつたのであるから、被告が知り得なかつたのは当然である。
そして、行政処分の瑕疵の重大かつ明白性の判断の基準時は当該処分時と解されているから、本件更正時においては右貸金台帳に基づかずして所得金額を認定しても、そのことが重大かつ明白な瑕疵といえないというべきである。
第三証拠 <略>
理由
一 請求原因1の事実は、本件再修正申告が条件付であるか否かの点を除き、すべて当事者間に争いがなく、同2の事実も当事者間に争いがない。
二 そこで、再修正申告が無効であるか否かにつき判断する。
1 本件再修正申告に係る申告書の冒頭に「条件付申告」との記載があり、さらに「42年分申告は条件付申告である。税務署で時効の関係、申告書を13日迄と申出あり。所得金額の是認とは相違するものである。」との記載があることは、当事者間に争いがない。
2 ところで、納税申告とは、申告納税方式による国税につき、その納税義務を確定することを主目的とする課税標準及び税額等の申告をいい、その性格は、課税標準及び税額等の基礎となる要件事実を納税者自身が確認し、一定の方式で租税債務の内容を具体的に確定し、これを租税行政庁に通知する私人の公法行為であつて、右申告には具体的な租税債務の確定という法的効果が付与されているものであつて、修正申告も納税申告の追加申告としての意味をもつものであるから、その性格は当初の納税申告である確定申告と基本的に異なるものではない。
3 そして、右のように修正申告の性格が課税標準である所得金額と所得税額とを納税者自身が確認してこれを通知させる行為であるという点に鑑みると、前記1の本件再修正申告書の条件記載部分中の「所得金額の是認とは相違するものである。」との文言は修正申告の本質と相容れないものがあり、しかも右のように課税標準自体を認めていないことや、右申告書のその他の記載部分からすると、昭和四二年分の税額についても申告書記載の金額であるとは認めていないものと推認されるので、これまた修正申告の本質に背馳するものといわざるを得ない。
4 そうすると、<証拠略>によると、本件再修正申告は、右の条件記載部分を除くその余の部分については、法定の記載事項を記載した適式な申告書に基づくものではあるが、右条件記載部分が修正申告の本質と相容れないものであつて、原告は本件再修正申告が法定の修正申告とは異なる性格のものであることを明示しているものといえるから、かような再修正申告は法に基づく適式な申告とはいえず、再修正申告としての効力を認めることはできないものといわざるを得ない。
5 これに対し、被告は、右条件記載部分のみが無効となり本件再修正申告は適法である、と主張する。
しかしながら、本件再修正申告をその申告書のうち条件記載部分のみを除外して考察することは適当ではなく、右条件記載部分が右申告書に記載された金額の趣旨を説明しているのであるから、これを一体のものとして判断せざるを得ないのである。
そして、右条件記載部分によると、原告はその申告書に記載された昭和四二年分の所得金額及び税額を認めず、じ後その確定のための手段を講じようとしていることが看取されるが、納税申告書に記載された税額が過大であつた場合に納税者に与えられている更正の請求という手段は、法定申告期限から一年以上経過した後の修正申告の場合には一切認められていないところ、このように更正の請求を認めていない理由は、修正申告の場合には、これに先立つ確定申告書の提出に当たり税額等の計算につき一応検討の機会が与えられており、かつ修正申告書の提出が任意で、提出限期も法定されておらず、その記載内容も十分な検討をした結果に基づいてなされたものであることが予想される点に求められるのであつて、これらの点を考慮すると、右のような修正申告の一般的性格とは異なるものであることが明記されている本件再修正申告書のうち、条件記載部分のみを除外してこれを適法なものとみることは、申告書に記載された納税者の意思に著しく反した酷な結果となるので、条件記載部分のみを切り離して考察することはできないものというべきである。
6 もつとも、右のような条件記載部分にもかかわらず、原告が本件再修正申告書の金額を自己の昭和四二年分の所得金額及び税額と認めていたような特段の事情が存すれば、右申告書の瑕疵は治癒したものと考える余地がないともいえないので、本件再修正申告書が提出された前後の事情につき、さらに検討を加えることとする。
<証拠略>を総合すると、次の事実を認めることができる。
(一) 原告は金融業等を営んでいる者であるが、脱税を図つたため、昭和四五年に広島国税局査察部による強制捜査を受けて預金通帳等を押収され、その後国税局の約一年近くの調査の結果、所得税法違反の嫌疑で岡山地方検察庁に告発され、被疑者として検察官の取調べを受けた。
(二) 査察部が調査し告発した所得税法違反の嫌疑は原告の昭和四二年分ないし昭和四四年分の所得についてであつて、査察部は資産増減法により右の各所得を推計し、昭和四二年分の所得額を三三四八万三六八二円、ほ脱税額を一四七八万七三〇〇円である旨、その調査結果を検察庁に資料と共に報告していたが、原告は検察官の取調べの際には、詳細は資料がないので計算不能であるが、右各金額はおおよそ間違いないものと思う旨供述していた。また、検察官に対し再修正申告をする意向であることを述べ、昭和四六年二月二六日に預金通帳五通の仮還付を受けた。
(三) 原告は、昭和四六年三月初めごろ所得税法違反で起訴され、その起訴状は同月七日に送達されたが、そのうち昭和四二年分の所得金額及びほ脱税額は前記(二)の金額と同一であつた。
(四) 一方、頼本課長は査察部から原告に対し修正申告の指導をするよう連絡を受け、同月七日ごろ、岡山税務署において、原告及び頼定税理士に対し口頭で査察部から連絡のあつた昭和四二年分ないし昭和四四年分の総所得金額のみを告げて修正申告するようしようようしたところ、頼定税理士はその金額の根拠を明らかにするよう求め、根拠が判明しない限りその金額を所得金額とは認められないとの態度を示した。しかし、頼本課長は、なおも延滞税の関係で納付しておく方が得策であることや、昭和四二年分の更正の法定期限が切迫していることを説明し、早急に修正申告をすることを求めた。
(五) そこで、原告及び頼定税理士は、所得金額を是認しない申告であれば、この際一応申告書を提出して税務署に協力し、所得金額の確定は後日に譲り、一旦は税金を仮に納付しておく方が得策だと考え、同月一〇日、本件再修正申告書を提出し、同月一二日にその税額を納付したが、頼本課長からは申告書の条件記載部分につき特に指導はなかつた。
(六) 頼定税理士は、右納付後に、右申告金額が過大であるとして真の所得額の確定を求めるため本件再修正申告に対する異議申立書を提出したが、異議申立の対象となる処分ではないとして受理されなかつたため、これに代えて嘆願書を作成して岡山税務署に提出し、さらに申告の無効を理由に審査請求手続をした。
以上のとおり認められ、右<証拠略>のうち、右認定に反し更正の法定期限につき説明したことはなく、不正行為のあるときは法定期限が五年となるので、前認定のような指導をするはずがない、旨の供述部分はたやすく信用することができず、他に前認定を覆すに足りる証拠はない。
そうすると、被告の担当者は、本件再修正申告前には原告が査察部の提示した所得金額を是認しないことを知つており、本件再修正申告書にもその旨記載があるのにこれを放置していたのであつて、原告は査察部の提示した再修正申告書記載の所得金額を過大であるとしてその後も争つていたのであるから、本件再修正申告を有効なものとする特段の事情もないというべきである。
したがつて、本件再修正申告は無効であると認めるほかはない。
三 続いて、本件再修正申告後に請求原因記載の再修正申告に対する減額更正処分がされたことも当事者間に争いがない。そこで、以下その効力につき判断するに、更正は税務署長の行う行政処分であり、既に租税法の規定により客観的、抽象的に定まつている租税債務の内容を具体的に確定するもので、税額を増加させる場合を増額更正といい、前にされた更正は増額更正処分に吸収されこれと合体することとなり、逆に税額を減少させる場合を減額更正といい、その実質は当初の申告又は更正の変更であり、それによつて税額の一部取消しという納税者に有利な効果をもたらす処分であり、両者は性格が異なるが、それは更正の税額が前の申告、更正による税額より多いか少ないかによつて結果的に処分としての作用が異なるだけであつて、種類の異なる二つの更正があるわけではない。
したがつて、減額更正処分も具体的な所得金額及び税額を確定させる処分であることには変わりがないから、本件のように再修正申告が無効であつても、その更正は修正申告に対する増額更正処分としての性質を付与されるだけであつて、再修正申告の有効、無効によつて当然に更正処分の効力が左右されるものではない。
そうすると、本件再修正申告が無効であつても、本件更正処分に無効原因がなく、既に取り消されてもいない限り、本件訴訟ではその更正処分の効力を否定することはできないから、原告の要納付額は再修正申告が有効である場合と同一であつて、別表一、二記載の各申告、処分及び納付、充当関係に照らすと、原告には過誤納金の請求権が生じていないこととなることは計算上明らかである。
四 そこで、次に原告の主張する更正処分の無効事由につき順次判断する。
1 不服申立の教示の欠如
原告は、本件更正処分の通知につき不服申立の教示が欠如しているのみならず、積極的に教示文言が抹消されているので、本件更正処分は無効である、と主張するが、右のような瑕疵は更正処分の重大な瑕疵とは到底いうことができないから、右主張は理由がない(教示がされていないからといつて不服申立ができないものではないことも論をまたない。)。
2 調査手続の欠如
原告は、本件更正処分が税務当局の調査に基づかずに検察官の調査結果を鵜呑みにしたものである、と主張するが、前述したように、そもそも再修正申告の金額自体が広島国税局査察部の調査結果に基づくものであり、犯則調査によつて収集された資料を通常調査の課税資料とし、これを課税処分の認定のために利用することも妨げられないので、右金額は国税局の調査に基づくものであるというべきであり、本件更正処分は右金額をさらに減額したものであるところ、<証拠略>によると、その後も刑事裁判の進展と並行して国税局の係官が原告の所得を調査していたことが認められるので、本件更正もその後の国税局の調査に基づいてされたものであることが推認され、逆に原告の主張するように検察官の調査結果を鵜呑みにしたものであると認められるような証拠は全くないのであつて、その主張は前提事実を欠き理由がない。
3 再修正申告の先行
無効な再修正申告が先行しているからといつて、当然に本件更正処分が無効となるものでないことは多言を要しないところ、右にみたように、再修正申告額自体が国税局の調査に基づくものであつて一応の根拠を有する金額であつたのであるから、再修正申告が先行することを理由とする無効の主張も理由がない。
4 所得認定の違法
原告は、昭和四二年分の所得税に関し、原告を被告人とする所得税法違反被告事件の判決で認定された同年分の総所得金額は一七一一万一五一二円であり、本件更正の額とは著しい開きがあるところ、本件更正に際し、職務の誠実な遂行として当然要求される程度の調査をすればかような過大な認定はされなかつたはずであるから、調査のずさんさ、所得金額認定の誤りは重大明白な過誤に当たる、と主張する。
しかしながら、刑事手続と課税処分は別個の法体系に属するので、刑事事件判決で認定された所得金額が課税処分として正当な金額であるとは直ちに言うことができないのみならず、処分の重大明白な瑕疵の存否の判断の基準時は当該処分のされた時であるから、後に出された刑事事件判決の結果をもつてのみ処分時の瑕疵をうんぬんするのは相当ではない。
さらに、<証拠略>によると、本件更正又はこれに先立つ本件再修正申告の所得金額(起訴状記載の金額)と刑事事件の判決で認定された所得金額との間に大幅な差異が生じた最大の原因は、原告が貸金台帳をつけてこれを所持していたにもかかわらず査察部の押収から免れ、その後もそれを秘匿し続け、昭和五二年末になつてようやく原告が刑事事件において初めて裁判所に貸金台帳を提出したためであつて、当初は国税局が右台帳以外の資料に基づく資産増減法によつて原告の所得金額を推計し、検察官はその結果に基づいて原告を起訴したが、右台帳が提出されたことに伴い、国税局が一層正確な資料であるその台帳の記載をもとに原告の所得を再調査し、その結果刑事事件の判決で示された金額に近い所得金額を初めて把握することができ、検察官がその結果に基づき訴因変更を請求したことが認められるのである。
したがつて、本件更正時には刑事事件の判決の基礎となつた貸金台帳の存在は税務当局の知るところではなかつたのであるから、本件更正がそれ以外の資料に依拠してされたとしてもそのことが重大かつ明白な瑕疵であるということはできない。そして、当時の推計方法が明らかに不合理であると認めるに足りる証拠もないし、また認定された所得金額が真実の所得金額と異なるというだけでその瑕疵が重大明白であるともいえない。
そうすると、原告の前記主張もまた理由がない。
以上において判断したところによると、本件更正処分には無効とすべき事由が見当たらないから、前述したように、原告に過誤納金の還付請求権が生ずる余地はないものというほかはない。
五 なお、原告は、条件付再修正申告が受理された以上、条件成就により過誤納金が返還されるべきであるとか、又は過誤納金返還の特約があるとか主張するが、右のような条件や特約は、租税の課税要件や徴収手続等はすべて法律をもつて定められるべきであるとする租税法律主義に明らかに反するから、かような条件や特約が仮に存したとしてもその法的効力を認めることは到底できない。
六 以上の次第であつて、原告の本訴請求はすべて理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 白石嘉孝 安藤宗之 大島隆明)
別表一 申告・課税処分一覧表
種類
年月日
(昭和)
総所得金額
(円)
所得税額
(円)
重加算税額
(円)
備考
確定申告
四三・三・一四
七、八八〇、九〇〇
二、八八五、七〇〇
修正申告
四五・四・一三
一三、六一六、〇〇〇
五、九二二、八〇〇
再修正申告
四六・三・一〇
三三、四八三、六八二
一七、六七四、一〇〇
重加算税賦課処分
四六・四・一二
九一一、一〇〇
修正申告額に対するもの
〃
〃
三、五二五、三〇〇
再修正申告額に対するもの
更正
四七・一〇・一九
二九、九〇七、三八九
一五、三六六、〇〇〇
三、七〇九、八〇〇
別表二、三 <略>